よくないお天気が続き、ふと地面を見ると、
随分と桜の花びらが散っていました・・・。
なんだかちょっと寂しい気分になりますね。
ただ、私は、葉桜へと移行する時期の、ピンクと緑の入り混じった
まさに「桜餅カラー」の桜の木も大好きです。(o^-')b
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先日、新人研修のお手伝いをしていた際に、
「最近の若者は読み書きができなくなってきている」という話を聞きました。
読み書きというのは、
読み:文章を読んで真意を掴む力(=読解力)
書き:人に伝わる文章を具体的に書く力
だそうです。
その場にいた方々と、この現象は何に起因しているのだろう・・・と、
そんな話をしていました。
「若者の能力が低下しているのはゆとり教育が原因。」と結論付けるのは
簡単なのですが、この読み書きに関して言うと、
もっと違うところにも原因があるのかな、と感じました。
読むことも書くことも、話す・聞く・見ると同じように、
コミュニケーションの「手段」の一つ。
その善し悪しを決めるのは、そのベースにあるその人の中身(コンテンツ)
だと考えています。
いくら書く技術を学んでも、その人の中に発信したいコンテンツが
なければ、相手には届かない、
いくらたくさん文章を読んでも、そこに書いてあることに心が響くような
感受性がなければ、その真意を本当の意味で理解することはできない、
と思うのです。
実は私も、学生時代は、この「読み書き」が本当に苦手でした。
受験でも、一番のネックは現代文(+論文)だったくらい。
それが今は、こうしてブログやメルマガなどで文章を書いたり、
書物を読んで人並みに学びや感動を得たり、
当時よりもはるかにこの分野の能力は上がったと、自分でも思います。
その要因は何だったのか・・・と考えたのですが、
人との関係の中での経験をたくさん積んだこと
が一番大きかったのではないかと感じました。
学生時代と言うのは、同じような生活、同じような考え方をする人たちに囲まれ、
何の衝突もストレスもない環境で育ったので、
それほど深く深く問題を掘り下げたり、自分の想いを伝えるために
一生懸命言葉を選んだりするような場面には、滅多に遭遇しませんでした。
だからおそらく、とても視野の狭い、均質の価値観の中で育った、
コンテンツの乏しい少女だったのではないかと思います。
それが、大人になって、次々と新しい環境・状況を経験し、
時には全く違う価値観や考えの人と真正面からぶつかりあったり、
その中で自分自身のいろんな感情の変化を知ったりする中で、
人に伝えたいことが出てきたり、いろんな人の気持ちがわかるように
なってきたりしたのだと感じています。
そしてそのころから、自分自身の伝える力や受け止める力
というのも高まってきたのではないかと思います。
人との関係の中で学ぶことは本当に多いし、大きいと思います。
最近の若者は読めないし書けない・・・。
そんな問題を感じたら、「読みなさい。書きなさい」ではなく、
(もちろんそれも大切なのですが、)
「もっと人と真剣に関わりなさい」
といった指導や場づくりが、人材育成の場ではとても大切なのかもしれない
・・・と、そんなふうに感じた研修現場でした。